環境を変える

私はブログの投稿などを書くとき、たいてい深夜0:00以降か、4:00とか5:00など早朝に机に向かうことが多い。

家族が起きている時間帯は、部屋に入ってこられたリして、それまで考えていたことが頭から飛んでしまい、改めて集中力を取り戻そうとしても、なかなかできなくて、結局そのまま書くのをあきらめてしまうことが、これまでに何度もあったからだ。

しかし、そんなふうに家族のジャマが入らない時間帯に執筆していても、勝手に雑念が生じて、それが頭の隅にこびりついて、集中できなくなってしまうことがある。そうなると、余計なことを考え始め、キーボードをたたく手が進まなくなってしまう。誰かのせいにできないだけに、余計にストレスが溜まる。

こうなる理由はたぶん、慣れ親しんだ自分の部屋、とくに机まわりに、いろいろと時間つぶしへと誘うモノがあるからだ。

今、読んでいる途中のおもしろい本、壁のコルクボードに貼りつけた紙に書いたアイデア、ポストイットに殴り書きしたメモ…

そうしたカタチがあるモノだけではなく、時には、心の中にある思いも、目の前の執筆活動の妨げになることがある。たとえば…

– 家族とケンカしたりしていて、どんなタイミングでどんな言葉をかけ、突破口を開こうかと悩んでいるとき
– 会社で期限付きの仕事を頼まれ、今ここでどうすることもできないのに、その進捗が気になる場合
– 誰かとした約束の期限が近かったり、あるいは過ぎてしまったりしていて、フォローしなければならない時

など、過去の私が残した、目に見えない思考も、目の前のことに集中することをジャマすることがしばしばある。

これは、たぶん人間の脳(に限らないかもしれないが)の働きとして、自然なことなのだと思う。

人に限らず、動物には「恒常性(ホメオスタシス)」という性質がある。今、現在の自分の状態・状況を維持しようとする働きのことだ。

この機能は、個体が生物としてできるだけ長い期間、よいコンディションで生存し続けるためには、必要不可欠なものなのだろうなあ、と納得はできる。

人もその他の生物が、過去の様々な失敗の上に発見した方法で、今うまくいっている状態、今現在の自分にたどり着いた… という適応説みたいな考え方をすれば、現在の状態を維持できれば、少なくとも過去の失敗は回避して、最小限の労力でムダなく、「今のやり方」をどんどん洗練させていくことに集中できる。

きっと、これが私たちをしばしば苦しめる「習慣」というヤツを作り上げたり、しがみつかせる要素の一つになっているのだろう。

「習慣」つまり、身体に染みついてしまったパターン化された行動とか反応というのは、いちいち悩んだり考えたりしなくても、体が勝手に動いてくれるので効率的だ、という利点があるが…

今までとは違う反応や行動をとろうとする時は、その習慣がジャマになることもある。

たとえば、家族や会社の中で、どう立ち回ればいいかのは、その集団でやっていく上では意味があるし、効率的でもある。

しかし、ほんのひととき、家族や会社から少し距離を置いて客観的に自分を眺めてたり考え事をしたいときには、習慣として身についてしまった気遣いとか気配りみたいなものがジャマになって、自由に考えられないこともある。

「自分ならこうして対処する」とか「こんなふうに立ち回る」という時、「自分なら」というその「自分」が、現在置かれている状況での「自分」だから、そこを離れた新しい考え方に踏み込んでいけない。

ちょっとわかりづらいだろうか?

私もそうだが、あなたも「今、現在のあなた」に縛られている。

それは、会社とか家族における役割、たとえば「上司・部下とか、プロジェクトマネージャーとか、お父さんとかダンナ、といった肩書で表現される「役割」のこともあるし、「とりあえず、xxの件がきたら、あの人に聞いておけば間違いないよ」とか「この人、悪い人じゃないけど、なんか覇気がないっていうか、ドキドキしないのよね」みたいなもっと不明確な場合もある。

ただ、いずれにしても、あなたはこれまでの経緯で、周囲の人からある「役割」を与えられ(場合によっては押しつけられ)、それを仕方なく「自分」の一部として受け入れてしまったのだ。

そして、時にその「不本意な自分」は、「本当はこうありたい自分」に向かおうとする行動をジャマしてしまうことがある。

あなたは心の中で、次のような言葉を聞いたことはないだろうか?

「あなたは、xxだけやっていればいいのよ」
「おまえにそんなこと、できるわけないじゃないか」

これが過去、あなたに「不本意な役割」を押しつけてきた人の声だ。

目をつけられて、いつも怒られていた小学校の算数の先生かもしれない。友達グループを仕切って、あなたを引き立て役に使っていたキレイな女の子かもしれない。あるいは、出来のいい兄弟といつも比較していたお父さんかもしれない。

こうして、ムリヤリ押しつけられてしまった「不本意な自分」は、習慣化してしまっているので、特定の相手や環境に身を置くと、無意識にある決まった感情を引き起こす。たいてい、マイナスの感情と反応だ。

たとえば、年末に実家に帰って、家族と一緒に過ごせば、父親は相変わらず出来のいい弟とあなたを比較して、冗談交じりに悪気もなくあなたを侮辱する。すると、あなたはもう40歳を過ぎた中年オヤジになっているにも関わらず、子供の時の不愉快な気分や劣等感を思い出して、つい不機嫌になってしまう…

こうして習慣化されてしまった「反応」を、自分の意志だけで変えようとするのは非常に難しいと思う。自分で受け入れてしまった「自分のイメージ」を、自分の意志で捨て去ったり、書き換えたりするのは大変な努力が必要なはずだ。

そこで、私が「自分で受け入れられない自分」を忘れ、「求める自分に近づく」ための方法をひとつ、ご紹介しよう。

私はふだんサラリーマンをしながら、時には不本意な仕事でも受け入れて、黙々と働いている。家庭では、ときに理不尽でわがままな妻やムスメにコケにされたりしながら、お父さんもやっている。

そして、雑然とした自分の部屋で、ブログを書いたりしているのだが…、ホントは一日中、誰にもジャマされずに、自分の好きな事だけやって、高収入を得て暮らしていきたい。

で、「今の自分」にがんじがらめになって疲れきったり煮詰まったりすると、都内のビジネスホテルなどを予約して、2~3日籠ってしまう。

こぎれいなホテルでは、受付係が親切に迎えてくれる。ふだんの私の「役割」を知らないし、まったく介さない人たちしかいない非日常空間だ。

部屋に入れば、ムダなものは一切なく、きれいに整理整頓されている。ベッドと机、イス、シャワールーム、コーヒーポット、マグカップ。あるものと言えば、そのくらい。だが、日常を離れて考え事をしたり、執筆に集中したりするには、それだけで十分だ。

私は一人で、誰にもジャマされることなく、何時間も集中して考え事をしたり、ネットで調べ物をしたり、持ち込んだ本を読み耽ったりする。

部屋で籠っているのに飽きると、ホテルのレストランやバーに出かけて、息抜きをする。

これぞ、私が望んでいる理想の生活だ…

思考でなく、行動してしまうのだ。行動によって、体で「新しい自分」「なりたい自分」「ありたい自分」「ホントの自分」を先取りして体験してしまう。

不思議なもので、人間は「そういう環境」に置かれると、それにふさわしい行動や考え方をするようになる。

脳は「現実」と「想像」の区別がつかない、とよく言われる。これが単なる頭の中の「想像」ではなく、行動をともなった仮想体験だと、ますます現実との区別がつかなくなる。

これまで考えれば考えるほど、余計に意識してしまって抜け出せずにいた「押しつけられた自分のイメージ」を、いともたやすく投げ捨てて、あるいは忘れ去って、「なりたい自分」「ホントの自分」を先取りして実感することができる。

そうすれば、今度は潜在意識が勝手に、どうすればその「仮想体験」を現実の生活にできるのかを一生懸命、考え始める。

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